役者寺 大雲寺

役者寺・大雲寺の由来

 大雲寺は、浄土宗総本山知恩院の直(じき)末(まつ)の寺で、長行山(ちょうぎょうさん)・専称院(せんしょういん)・大雲寺と称します。通称は「役者寺」ともいい、「赤門寺」と称されていました。
 元和6年(1620)に梵(ぼん)誉(にょ)貞存(ていぞん)上人が、二代将軍徳川秀忠公の崇信を得て、浅草森田町(台東区蔵前国技館辺り)に寺領3000坪を受けて、寺院を建立しました。寛文8年(1668)2月4日の江戸の大火にあって類焼し、同年本所押上村(墨田区業平3丁目)に移転しました。大正12年(1923)9月1日の関東大震災にあい、諸堂を烏有に帰しました。同14年(1925)現在地に移り、昭和6年(1931)に移転を完了しました。
平成3年(1991)5月に本堂、平成10年(1998)12月に鐘楼、翌11年(1999)11月に書院、同24年(2012)に会館が竣工しました。
本尊は、19世雲誉龍童と佐藤如雲が、関東大震災の罹災者の一周忌追善のために、同遺骨と納骨堂安置の遺骨によって造立した「骨仏」です。
「役者寺」と称されていますように、歌舞伎俳優の墓所として知られ、市村座の市村羽左衛門(初代~17代)、坂東彦三郎(初代~7代)、松本幸四郎(3~5代)、尾上菊五郎(初代・5代)、瀬川菊之丞(初代~6代)、松本幸四郎(3~5代)、中村座の中村勘三郎(初代~13代)、歌舞伎狂言作者瀬川如皐らの墓があり、画家池田孤村、花火の鍵屋の墓もあります。
この他に、俳人自在庵祇徳、宮薗節初代宮薗千之、茶人伊藤道爾、3代目三遊亭圓生も埋葬されていました。
19世龍童は、三門に憤怒の仁王像に代わって好顔な恵比寿・大黒天を奉安しようと発願し、書院に安置しています。令和元年(2019)に開創400年記念に三門福寿門を修復に際して、石像の恵比寿・大黒天を造立しました。
平成13年(2001)西方学院開設、同15年(2003)知恩院サラナ親子教室開設、昭和30年から続いた植木市に代わり、花まつり餅つき大会、地蔵盆などを開催しています。