役者寺の由来

 

 

役者寺の由来


初代中村勘三郎(明暦4年没・1658)を始め、多くの歌舞伎俳優が檀信徒となり、また江戸三座のうちの二座(中村座・市村座)があるので、役者寺と称せられるようになりました。

 


① 市村羽左衛門累代墓(初代~17代、残菊物語の2代尾上菊之助、13代=5代尾上菊五郎) 
② 坂東彦三郎累代墓(3代~7代)
③ 3代坂東彦三郎墓 
④ 尾上菊五郎供養碑 
⑤ 寺嶋家門弟一同建立碑
⑥ 寺嶋家門弟代々墓 
⑦ 瀬川菊之丞累代墓(初代~6代、歌舞伎狂言作者・初代瀬川如皐) 
⑧ 松本幸四郎累代墓(4代~6代) 
⑨ 中村勘三郎累代墓(初代~13代) 
⑩ 3代中村勘三郎 
⑪ 福地家(茶屋、版元) 
⑫ 坂東彦三郎墓累代墓(初代~2代)
⑬ 琳派池田孤村

 


この他にも、花火師の鍵屋の墓もあり、俳人自在庵祇徳、宮園節初代宮園千之、茶人伊藤道爾、三代目三遊円生も埋葬されていました。

 


三門と恵比寿大黒の由来

 

19世雲誉龍童は、昭和5年(1930)、三門を「福寿門」と称して建立し、憤怒の仁王に代わって好顔な恵比寿大黒で参拝者を出迎える趣向でした。この恵比寿(佐藤如雲)、大黒(近藤広雲)は書院に奉安しています。

 
右から、宝篋印塔(市村)、宝篋印塔(市村)、⑫坂東彦三郎
 


右から、①市村羽左衛門、②坂東彦三郎、③坂東彦三郎、④尾上菊五郎供養碑


 
⑦瀬川菊之丞、⑧松本幸四郎、⑨中村勘三郎、⑩中村勘三郎、⑪福地家


 

 

『墨水消夏録』ニ
本所押上村にある浄土宗の寺にて、猿若代々(注・中村勘三郎家代々)の菩提寺なり。ここに猿若(注・初代勘三郎)の宝物を預かり置く。

 

『川傍柳』
吸殻を大雲寺から消しに出る  鼠弓

 

『当世武野俗談』
本所押上大雲寺順誉として活僧あり、彼寺(注・大雲寺)に瀬川菊之丞(注・初代)を葬る。円学院即誉源阿是空居士(注・路孝)寛延己巳(注・寛延二年、1749)九月二日と墓に有り。住持大いに敬い、大旦那の如く朝暮香花して諸侯大夫の廟所より大切にしけるこそおかしけれ。
 

『柳多留』
路孝茶(注・菊之丞好みの茶色)に鈴(注・俗にお化け幡の鈴)の付いてる大雲寺